<期日>2026年1月3日(日)
<会場>永大産業グラウンド
<主催>平生サッカーフェスティバル実行委員会
<後 援>平生町教育委員会バンブーフットボールクラブ
<日程>
8:25 セブンイレブン山口平生桜町店集合
健康観察 オリエンテーション
8:45 会場着 受付、あいさつ、荷物整理、身支度
9:00 開会式
9:30 ゲーム U10~U12:8人制
U8~U9:6人制(ハーフコート)
未就学児:ミニコート
親子PK対決
12:00 豚汁会食
サインボール交換、山口SSマフラータオル寄贈
記念撮影
12:30 終了・現地解散
<参加ファミリー>
6年浅井家、6年杉村家、5年粟村家、5年中村家、5年佐藤家、3年金山家、3年宮崎家、3年林家、3年清水家
このイベントは、平生SSSの弘中会長が中心になって開催され、今回初めてお招きいただきました。
今回は、将来の夢をもち山口SSの明日を担う選手・家族を加藤代表の全国デビューゆかりの地のイベントに招待し、年頭の決意を新たにするものとしてジュニアコースから9家庭が参加させていただきました。
山口SS代表加藤監督は、本格的な少年サッカー指導を始めた昭和60年から61年までの小瀬SC監督時代から昭和62年から平成5年までの岩国選抜(キッカーズ&イレブン)監督時代にこの地で全国大会出場への道筋を築かせていただいたのです。小崎先生率いる周東FCを目標に岩国のチームを強化すべく粉骨砕身し、永大グラウンドでの全国大会周東ブロック予選では胃の痛くなる試合を何度も経験させていただきました。
小崎先生がスター選手として活躍された永大産業サッカー部のホームグラウンドでもある山口県サッカーの聖地「永大グラウンド」に立ち、加藤監督と小崎先生・永大グラウンド・平生サッカースポーツ少年団・周東FCとの絆を知ることは、山口県サッカー発展の軌跡を再発見し、これからの山口SSの歩むべき道筋を明らかにするためにも大変貴重な機会となりました。
温かく迎え入れてくださった小崎先生、財満先生、弘中さん、豚汁をつくってくださった岩本さん他多くの周東地区の指導者の先生方、大変ありがとうございました。
(MEMO)
【永大グラウンド】
元日本サッカーリーグ(現J1リーグ)の永大産業(天皇杯準優勝など活躍)のホームグラウンド。かつてヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)などが訪れ、日本サッカー最高峰のリーグ戦が繰り広げられた。
【小崎実先生】
永大産業サッカー部解散後、No.9小崎実選手(鹿児島実業→名古屋相互銀行、日本リーグアシスト王など獲得)は平生に残り少年サッカーの指導に携われることに。そして立ち上がったチームが周東FC。
【加藤監督、小崎先生との出会いと影響】
加藤監督が山高時代、小崎先生が巡回指導で山高サッカー部を指導。6年後加藤監督が勤務校の岩国市立小瀬小学校でスポーツ少年団小瀬SCを立ち上げた際、サッカー教室の講師としと昭和60年秋、周東FC監督・平生サッカースポーツ少年団監督の小崎先生を招聘。
その後加藤監督は、翌年度(昭和62年2月)には、小瀬SCを岩国市NTT杯優勝に導き、その年に岩国市サッカー協会宮部秀文会長(当時)から岩国選抜の5年生チームである岩国イレブンの監督を拝命した。
平成元年(昭和64年)には岩国選抜の6年生チームである岩国キッカーズ監督になり、第13回全日本少年サッカー大会の周東ブロック予選を通過、岩国キッカーズ初となる山口県中央大会進出を決めた。
そして翌平成2年には、同大会山口県中央大会決勝に進出。決勝を周東FCと戦い、開始7秒で得点する奇策が成功するも、2失点し周東FCの4連覇を許した。しかし、岩国キッカーズ初となる中国大会進出を果たし、そこで初優勝を遂げた。
この5年間、岩国キッカーズは、全日本県中央大会に5年連続出場(ベスト16、準優勝、ベスト8、3位・4位)、県選手権も連続出場(ベスト8、準優勝、準優勝、3位、3位)、中国大会も3回出場(優勝、優勝、5位)の成績を収めている。
その後加藤監督はキッカーズ解散後、地元の陶サッカースポーツ少年団監督、山口サッカークラブ監督を経て平成10年からは現在の山口サッカースクールの監督を務めている。
JFA全日本U12サッカー大会山口県中央大会の最多優勝回数は、周東FC9回、山口SC9回、山口SS9回と3チームが並んでいるが、加藤監督個人は山口SC9回目の時の監督を含め10回の優勝を数え歴代トップとなる。




































